コツ、コツ。
暗闇の回廊でただ一つの靴音。
風も、何も吹いていなため木々の揺れる音さえもしない。
まるで今この世に自分一人しかいない、という錯覚に襲われそになる。
藍楸瑛は空を見上た。
雲も見当たらなく、ただ星々がきらめく。
ただ星の煌きよりも強く光を放つ月。それがとても辛く感じる。
ただ、独りでいなければならない。この世でたったひとつの存在。主上―――――劉輝のようだ。
近くに小さいけれど光を放つ星では絶対に月の傍には居られない。
私では…。
ふと目の前に桜の花弁が舞い落ちる。
楸瑛は今自分が行かなければならない場所を思い、悲しい笑みが零れ落ちる。
きっと彼は仕事をしてくれない養い親の溜まっている仕事のせいで、まだ吏部にいるはずだ。
こんな時、物騒かもしれないが彼の養い親に少しだけ感謝する。
藍を生まれた時から背負った己では、そう易々と紅家へは行けないのだから。
君は紅性を与えられなかった事に悲しんでいたけれど、私は君が紅性ではないから
少しだけ近づける様な気がして嬉しかったんだ…けれどそれも、終わる。
吏部侍郎室の前まで行くとコンコンと扉を叩き、返答を待たず扉を開けると
勢いよく本が飛んでくるが、顔を右にずらす事で避けた。
「こうゆ…」
「帰れ」
楸瑛が全て言い割る前に小さく拒絶の言葉が紡がれる。
顔さえも上げてくれない事に少し悲しくなるが、
それでも負けじと一歩前に進むと、また本が飛んでくるが今度はそれを受け止める。
「絳攸」
そしてまた一歩進む。
「貴様何ぞ、知らん」
やっと顔を上げてくれた絳攸は睨むように楸瑛を見たが、睨まれていても顔を上げてくれたことが嬉しくて
また一歩と、歩を進める。
「絳攸…ごめ」
「不法侵入で兵を呼ぶぞ。」
書翰を持ちすっと立ち上がった絳攸は、楸瑛が其処に存在して居無いという様に横を通り過ぎて行こうとする。
無視をされるとは思ったけれど…。
「絳攸!!」
通りすぎて行こうとする絳攸の手首を掴み、こちらに向いてもらうべく、少し力を込めて自分の方へ引っ張る。
止まってくれて、こちらを向いてはいるけれど絳攸は頭を伏せたまま動きも、喋ろうともしなかった。
けれど、引き止めるために掴んだ絳攸の腕が微かに震えているのが解かり
開いている左手で絳攸の頬にそっと触れた。
「……絳攸。」
そまま左手で絳攸の顔を上に上げさせる―――――ズキ。
胸に何かがえぐられた様な痛み。
月明かりと蝋燭の火。
そんな些細な光でも、これだけ近くにいれば解かる。否、わかっていた。
眉を八の字にして、瞳には溢れんばかりの涙、何かに耐えるように唇を噛み締め、そして――――何かに裏切られた、そんな悲しい顔をする事は。
気付けば強く絳攸を抱きしめていた。
「は…な、せ!貴様何ぞ知らんと言っているだろうが!!本当に兵を呼ぶぞ!?消えろ!!」
ぐっと抱きしめていた腕に力を込めた。
「ごめんね、…ごめんね。」
こんな言葉で許してもらえるはずがない。解かってはいるけれど。
ただ今は絳攸を逃すまいと、抱く腕に更に力を込めた。
「…俺の知ってる藍楸瑛は、いつだってへらへら笑って、頭にでっかい花を咲かせた常春頭で、俺が主上を怒ると甘やかす奴で、馬鹿で、阿呆で、どうしようもないくらいの女好きで…」
「…そうだね。それから君が迷っていたら必ず助けに行って、君を怒らせてばっかりで。」
それが楽しかった何て言ったらまた怒られてしまうから、それは心の中に留めておく。
「……お、まえ…ズルイ」
脇のあたりに絳攸の手が置かれ、ぎゅっと衣を掴むのがわかる。
「うん。知ってる。それから、逃げてばっかりな事も。」
絳攸は楸瑛の肩口に額を擦りつけるようにして、楸瑛からは顔が見えないようにしてくる。
震える絳攸をなだめるように背中を摩ってやり、月の光をうけて透き通る銀色の髪に顔を埋め
「君を――――――守ると決めたのに。
迷子の君を助け出すのは私の役目だと言ったのに。
それらから全て逃げようとしている。」
掴まれている衣にぐっと力がこもる。
「お前何か、嫌い、だ…。」
「うん。知ってる」
銀色の髪を梳くように撫でやる。
「大、嫌い…だ…!!」
「うん…知ってるよ。」
窓を開けていたため、急な突風のせいで紙や書翰が机から落ち、蝋燭の火も消える。
蝋燭の消えた後の独特な匂いが部屋の中にじわじわと広がる。
それから小さな絳攸の喘ぎ声。
「私は本気が恐いんだ。」
ずっと、ずっと報われなかった想いを抱き続けた、あの初恋から。
藍州に居るのが辛くて逃げ出し、紫州で絳攸に会った。
絳攸に会って、絳攸を好きになって、報われないと思っていたのに想いが通い合った時。
嬉しかった。すごく、すごく嬉しかった反面、恐かった。
そして今、逃げようとしている。
「…俺だけならまだいい。俺だけから逃げるんなら思う存分逃げろ。だがな、主上からも逃げるのか…!!」
睨むためにやっと上げた顔には、きつい瞳にうっすらと涙の後。
「そうだね。君からも、そして藍家を捨てられない私は主上からも逃げた。」
逃げて、逃げて。
その後きっと何も残らない事はわかっているけれど、
主上の本気から、そして絳攸の本気からも私は逃げる。
報われなかった今までの恋。
人を愛するという想いは、いつかきっと消えてしまう。永遠に続かない事を知っているから。
君が想いを返してくれなくなる事が恐いから。
藍家が、兄が私を必要としてくれなくなるのが恐いから。
君の想いが永久に続くなんて、信じられないんだ。
だから、君が離れる前に私から――――――。
中途半端っぽいですが一応これで終わり。
とゆうか、新刊のショックであんまりちゃんと読んでない(読め)んで
楸瑛の藍家へ帰る設定とか間違ってたらごめんなさいー。
そして、ここまで読んで頂いてありがとうございましたー!
逃げ道